9月から新学期が始まった娘のアメリカ現地校。
(アメリカの学校は8-9月が新年度スタートです)
開始からしばらくはオンラインのみでの指導だったのですが、ついに先週から Face to Face (対面)での指導を希望することができるようになりました。
我が家は家族で話し合いの結果、対面授業を選択。
娘は久しぶりの登校を首を長ーくして楽しみにしていました。
そして迎えた登校初日。事前に学校から連絡のあった学校内での新しいルールや注意事項をチェックして学校へ。
飛び跳ねるように、7ヶ月ぶりの学校に登校しました。
人は本能で「人」を求める
わたし達の住む地域はアメリカでも有数のホットスポットだった事もあり、3月のステイホームオーダー以降はできるだけリスクを取らない(=不必要に人には会わない)生活をしてきました。
この期間、家の中はとってもハッピーで、
(わたしも夫もそうなるように心がけていたし)
「今だからできる事」たとえば家族揃って3食食べられる事とか
夕方みんなで近所を散歩する等、この生活だからできる事/ハッピーにフォーカスをして過ごしてきました。
より家族の仲が良くなった、絆が深まったなと感じています。
ですが、一方で強く感じるのは
わたしたちには他者との関わり、触れ合いが必要だと言う事です。
ちょっとした挨拶、簡単な会話、街で見かける人々の様子。
それらが全く無くても生きていけるし、
そんなのは大して重要ではないと思っていたけど
わたし達はそんな日常のちょっとした事に支えられたり、刺激を受けたりしながら、いろんなバランスをとって生きてきたんだと思いました。
(7ヶ月ぶりに娘不在の自宅。わたしは完全に脱力、長かったー笑)
人には、人が必要。
わたしには、誰かが必要。
そして誰かにも、きっとわたしは必要とされている。
何ができるかとか、与えられるかとか
何をしてもらって、してあげられるかとか
そんな論理的なギブandテイクでは無くて。
ただ誰かがそこにいてくれるだけで、わたしの世界はもっと豊かになる
そして同じように
わたしもきっと誰かの世界を照らしている
人間関係で悩んだり、煩わしくなったりする事もあるけど
そんな一見「問題」に見えることさえも
実はわたしの見えていない部分を照らしてくれているように思えます。
それは、そこに誰かがいたから。
人の存在があるからこそ。
わたしには誰かが必要なように、誰かにも(きっと)わたしが必要
誰かのちょっとした言葉で心がほぐれるように、
あなたの些細な一言や態度が、誰かの世界を優しくしていたのかもしれません。
支え合って、照らし合って、より良い私 ( = Becoming Me)になっていきたい。
コミュニケーションについて新しい視点を学べた気がします。
本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。